幾何学の催眠と肉体のハッキング:『去年マリエンバートで』からラガーフェルドへの密かな系譜

完璧すぎる美意識がもたらす「知的な催眠」

アラン・レネの『去年マリエンバートで』(1961年)は、映画史において最も美しく、同時に最も「強い眠気」を誘う作品である。

ジャン=リュック・ゴダールも充分眠いが、ゴダール映画のように、突飛な編集(ジャンプカット)やポップな政治的スローガン、過剰な音楽が観客を醒まさせることはない。バロック様式の宮殿ホテル、どこまでも続く廊下、幾何学的に切り揃えられた庭園、そして重厚なオルガンの旋律。画面のすべては完璧な左右対称(シンメトリー)と数学的な静寂に支配されている。古典古代の神々や人間たちの「完璧に静止した彫刻」が延々と整然と並び、個人的な印象としてはバチカン美術館に少し似ている印象がある。

登場人物たちは感情を失った彫刻のように佇み、モノローグは無限のループを描く。この「完璧すぎる美」と「変化の欠如」は、観客の脳から現実的な緊張感を奪い、抗いがたい催眠作用をもたらす。だが、その眠気と戦い、重い瞼の奥で画面を注視した者だけが、恐ろしいほどソリッドな「物質」と対面することになる。

主演女優デルフィーヌ・セイリグが身に纏う、ガブリエル・シャネルのオートクチュールである。

「老境のシャネル」によるアバンギャルドのハッキング

1961年当時、1954年の復帰以降フランス国内で「古臭い過去の遺物」と酷評され続けていた70代後半の老境のシャネル。一方の映画界は、リアリズムと街頭撮影で新風を吹き込むヌーヴェルヴァーグの絶頂期にあった。

映画のための衣装新調を拒み、アトリエの既存コレクションをそのまま提供したシャネルに対し、当時の批評家たちは冷ややかだった。「ブルジョワ的で優雅すぎる」「前衛的な映画に対し、衣装がクラシック(保守的)に過ぎる」と。

だが、レネ監督とシャネルの狙いはまさにその違和感にこそあった。

時間の概念が崩壊した迷宮において、シャネルのドレスは「生身の人間」から生々しい感情や生活感を脱臭し、「絶対に古びない歩く彫刻」として機能する。通常、服とは人間の運動を補助する道具だが、『マリエンバート』におけるドレスは、人間を運動から解放し、完璧な「静止画」へ固定化するために存在する。

映画が公開されるや、ドレスと左右非対称の「マリエンバート・カット(ボウ)」は世界中のサロンを席巻した。「時代の遺物」と叩かれた老クチュリエは、アバンギャルド映画という実験装置を逆手に取り、自らのスタイルが時を超越した「永遠のモダン」であることを鮮やかに証明してみせたのだ。

現実を閉め出すための「虚構の鎧」

なぜこれほどまでに無機質で、美しい空間が必要だったのか。

「私たちは去年、マリエンバートで会った」と主張する男と、「そんな男は知らない」と拒絶する女。何が現実の記憶で、何が幻覚なのかは明かされない。この曖昧な世界において、幾何学の庭園とシャネルのドレスは、過酷で混沌とした「現実」を閉め出すための究極のシェルター(避難所)である。

現実の世界は、ドロドロとした感情、不条理、加齢、そして死(ノイズ)に満ちている。女は完璧なドレスと幾何学の中に身を隠すことで、現実の不条理から自我を守ろうとしたのだ。

外界から遮断された空間で、完璧なドレスを着て、意味のないカードゲームに興じる。それは、現代の我々が洗練されたハイブランドを身に纏い、生活感を削ぎ落としたミニマルな空間に閉じこもることで、過酷な社会から身を守ろうとする行為と完全に同義である。

服というイデオロギーのために、肉体を削ぎ落とす狂気

通常、服とは人間の身体に合わせて作られる。しかし、モードの歴史における真のカリスマたちは、常にその主客関係を鮮やかに逆転させてきた。映画を通じて「時間と現実」をハッキングしたガブリエル・シャネルの狂気は、半世紀の時を経て、シャネル帝国を再構築したカール・ラガーフェルドへと正しく継承される。

2000年代初頭、60代後半を迎えていたラガーフェルドは、エディ・スリマンが提示したDior Hommeの極細なシルエットに衝撃を受けた。少年性の残るその繊細な服を纏うため、彼はわずか1年余りで42kgもの肉体を削ぎ落とした。

「服に体を合わせる」というレベルを超えた、自らの肉体の不可逆な改造。

自らの身体を削り、エディの服という「新しい時代のイデオロギー」に入るためのソリッドな彫刻(物質)へと化すこと。70代で映画をハッキングしたココと、60代で自らの肉体を改造したカール。両者に共通しているのは、服を単なる「身に纏う布」としてではなく、自らの美学と欲望を世界に突きつけるための「絶対的な鎧(武器)」として扱ったという、冷徹で狂おしいまでの執念なのだ。

ソリッドな美意識と対峙する夜

『去年マリエンバートで』を観て眠くなるのは、映画の失敗ではない。人間的な感情や物語というノイズを完全に消去し、美の純度を極限まで高めた結果、人間の脳がその静寂に耐えきれなくなっているのだ。

眠気と戦いながら、画面の中で不自然に伸びる影の角度を眺め、シャネルの黒いシフォンの揺れを追う。

かつて「古い」と叩かれながらも時間を停止させ、のちのカール・ラガーフェルドの肉体改造にまで至る「服と身体の主客逆転」の原点となった、シャネルの絶対的な意地。その過剰な美意識の幾何学こそが、半世紀以上の時を超えてなお、我々を惹きつけてやまない「ソリッドな美」の正体である。

今夜も私は、バロックの重厚なオルガンの音色に身を任せ、心地よい催眠の波に漂いながら、あの完璧すぎる幾何学の迷宮へと深く潜っていくのだ。


去年マリエンバートで 4Kデジタル修復版 [DVD]-デルフィーヌ・セイリグ, ジョルジオ・アルベルタッツィ, アラン・レネ

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