「無国家解決」からZARAのガリアーノへ:服で国境の壁をぶち壊す、天才デザイナーの冷徹なチェスゲーム

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2024年の冬、私は恵比寿のメゾン マルジェラ トウキョウにいった。
目的は、「アーティザナル 2024 エキシビション 東京」を観るためだ。

ジョン・ガリアーノ自身の音声ガイドを聴きながら、薄暗い空間に並ぶ圧倒的なルックを眺めていたとき、胸の奥をざわつかせるような感覚があった。ファッションの解剖(ポスト・モーテム)という退廃的なテーマもさることながら、当時どこからともなく漂っていた「これがガリアーノのマルジェラとして、もう最後なんじゃないか」というあの特有の空気。ひとつの時代の終わりを目の当たりにしているような、切なさが会場に満ちていたのをよく覚えている。

それから約2年が経ち、ZARAとの2年間の契約のニュース、ガリアーノがジョナサンに渡したシクラメンの花がDiorのショーの一面に飾られたエピソード、それ以後のガリアーノ期のDiorの恐ろしいまでの高騰。そして、最近のメットの辞退まで、次々といろんなニュースが駆け巡っている。

この数ヶ月何となく思っていたことを書き留めてみた。ただの妄想かも知れないけれど。

導入(プロローグ)

近年、パレスチナ・イスラエル問題という終わりのない泥沼において、ひとつの画期的なマニフェストが世界中で議論を呼んでいる。ユダヤ文化研究の権威、ダニエル・ボヤーリンが著した『無国家解決(The No-State Solution)』だ。

国際社会が長年掲げてきた「二国家解決(国を2つに分ける)」という理想が物理的に破綻する中、ボヤーリンは過激な提唱を行う。それは、「排他的な民族国家という枠組みそのものを捨て、国境を持たない『ディアスポラ(離散)民族』としての豊かな文化的共生に戻るべきだ」という、境界線なき世界のビジョンである。

特定のアイデンティティを選別し、隔離壁で他者を排除する国家のあり方に冷徹な疑問を突きつけるこの政治思想。一見すると、私たちの日常から遠く離れた中東の地政学の議論に思えるかもしれない。しかし、この『無国家解決』の精神と、その裏にあるアメリカの巨大な権力構造の歪みが、実は現代のファッション界最大の事件と地続きで繋がっているとしたらどうだろうか。

いま、世界中のファッションフリークたちが固唾をのんで見守っている、ひとつの巨大なプロジェクトがある。かつてディオールを率いた異端の天才デザイナー、ジョン・ガリアーノが仕掛ける「ZARAとの2年間限定コラボレーション」だ。

これは、単なるファストファッションによる話題作りのマネーゲームではない。2011年、イスラエルを支持する上層部の強固な富裕層・権力者たちのシステムによって、一度は歴史から完全に抹殺(キャンセル)されたガリアーノが、15年という長い歳月を経て仕掛けた、冷徹なチェスゲームの最終局面なのだ。

なぜ、ハイブランドの頂点にいた巨匠が、大衆のためのZARAを選んだのか。そこには、彼自身の複雑なルーツ、マルジェラの匿名性に隠れたロンダリング期間、そして彼を「神」と崇める現代のトップクリエイターたちの思惑が緻密に絡み合っている。

上層部のややこしい政治や歴史の因縁をすべて置き去りにして、衣服という表現を通じて彼が実証しようとしていること。それは皮肉にも、イスラエルが掲げる排他主義とは真逆の、衣服による「無国家解決」の体現であった。

一度はすべてを失った天才が、どのようにして権力システムをハックし、世界を自分のデザインで網羅しようとしているのか。その生々しいビジネスと芸術の裏側を紐解いてみたい。

第1章:アメリカの権力構造と、ガリアーノの「ジブラルタルの呪い」

パレスチナ・イスラエル問題がこれほどまでに長期化し、解決の糸口が見えないのはなぜか。その背景には、アメリカの政治・経済・エンターテインメントの上層部を占める、強固な「イスラエル支持(シオニズム)の権力構造」が存在するからだ。強力な政治ロビー団体による莫大な資金力、キリスト教福音派という巨大な票田、そしてウォール街やハリウッドを動かす富裕層のネットワーク。この巨大な権力システムは、そこから外れる者、あるいは異を唱える者を容赦なく社会的に抹殺する力を持っている。

2011年、ファッション界の頂点にいたジョン・ガリアーノがパリのカフェで放った「反ユダヤ暴言」と「ヒトラー称賛」は、まさにこの強固な権力システムの逆鱗に触れ、彼のキャリアを一瞬にして灰にした。アルコールと薬物依存による錯乱が生んだ悪魔の暴発――世間はそう片付けたが、彼の人生の軌跡をたどると、そこには単なる個人の狂気だけでは説明のつかない、「ジブラルタル」という特異な土地の呪いとも言える地政学的な背景が浮かび上がってくる。

ガリアーノが生まれ育ったジブラルタルは、地中海の入り口に位置するイギリスの海外領土でありながら、隣国スペインや対岸の北アフリカ(モロッコ)の文化が複雑に交差する、極めて狭い多民族・多宗教のエリアだ。イタリア系の父とスペイン系の母の間に生まれ、非常に厳格なローマ・カトリックの家庭で育ったガリアーノにとって、自身の民族的・宗教的アイデンティティは、この狭い境界線の中で強烈に育まれたものだった。

ヨーロッパの長い歴史において、カトリックの伝統とユダヤ人社会の間には、数百年にわたる迫害や不信感といった「負の歴史」が澱(おり)のように積み重なっている。ジブラルタルという濃密な境界線の街で育った彼にとって、他者との「目に見えない境界線」に対する感覚は、無意識のうちに骨の髄まで染み込んでいたはずだ。

さらに彼を歪ませたのは、6歳で移住したロンドンでの記憶である。「ジブラルタルからの貧しい移民の子」として激しい差別といじめ、そして圧倒的な孤独を経験した彼は、社会のメインストリームに対する強烈な劣等感と反発心を抱えて成長することになる。

やがて彼はその天才的なクリエイティビティでファッション界の頂点へと這い上がったが、そこで彼が対峙することになったのは、華やかな世界の裏で巨大な資本とメディアをコントロールする、洗練されたマジョリティ(権力層・富裕層)のシステムだった。そこには、皮肉にもユダヤ系の実力者たちが多く存在していたのである。

「かつて自分を差別したマジョリティ」への屈折した劣等感と、「自分をコントロールしようとする巨大な権力システム」への怨念。ジブラルタルという狭い境界線から始まった彼のアイデンティティの歪みが、酒の力を借りて最悪の形で破裂したのが、あの「ヒトラー称賛」という最もタブーな言葉の選択だったのだ。

彼は人類の歴史に対する明白な悪を口にし、罰せられた。しかしその動機の根底には、国際政治の縮図とも言える「ルーツのややこしさ」と「権力構造への屈折した反発」が、生々しく横たわっていたのである。

第2章:マルジェラの匿名性と、ジョナサンが仕掛ける「ディオール神」の神格化

2011年の暴言事件によって、巨大資本LVMH(モエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトン)の表舞台から、政治的かつ道徳的に完全に抹殺されたジョン・ガリアーノ。キャラクターそのものが大炎上した彼が、再びクリエイションの刃を研ぎ澄ますために必要だったのが、「メゾン・マルジェラ」への着任、そしてLVMHからの完全な離脱というステップだった。

マルタン・マルジェラが築き上げたのは、「デザイナーが一切表に出ない(匿名性)」を絶対のDNAとする世界観である。顔を隠し、個人のキャラクターを消し去るというこの最高の「隠れみの」を得たことで、ガリアーノは世間のバッシングを巧みに回避。2024年の伝説的な「アーティザナル・コレクション」に代表されるように、己の圧倒的なカッティングの技術と職人技だけで世界を再震撼させ、10年という歳月をかけて「ほとぼりを冷ます」ことに成功したのだ。

しかし、彼の真の復権、いや「神格化」の引き金を引いたのは、現代のファッション界の最高峰に君臨するジョナサン・アンダーソン(Loewe / JW Anderson)である。そして、ジョナサン自身も1980〜90年代の北アイルランド紛争の激戦地であったマーフェラでの民族紛争の体験が彼のルーツであり、また圧倒的な庶民層という、時代を超えた同志とも取れる関係性なのである。

ジョナサンにとって、1996年から2011年までガリアーノが手がけた「クリスチャン・ディオール」の仕事は、単なる過去のアーカイブではない。自身のクリエイションの血肉であり、公然たる「推し」、つまり絶対的な「ディオール神」そのものなのだ。ジョナサンが自身のコレクションや公の場で執拗にガリアーノ期のディオールへオマージュを捧げ、その至高の芸術性を喧伝し続ける行為は、純粋な信仰心であると同時に、ガリアーノという存在を「触れてはならない神話の領域」へとロンダリング(洗浄)する役割を果たした。

このジョナサンによる執拗な神格化は、ヴィンテージ市場に「途方もない価格高騰」というリアルな狂騒をもたらしている。

2011年の失脚当時、世界中の大富豪やセレブ、コレクターたちは、政治的・社会的なイメージダウン(リスク)を恐れて、クローゼットにあったガリアーノ期のドレスやバッグを一斉に処分、あるいは廃棄した。つまり、市場における良質なアーカイブの絶対数は、歴史の闇に葬られて激減していたのだ。

それが今、ジョナサンの手によって「神格化」という起爆剤が投下されたことで、需要が爆発。経年変化による傷みやヤレ感があるヴィンテージですら、世界中のZ世代や富裕層のコレクターたちが血眼になって大金を積み、買い漁る事態になっている。

皮肉なことに、この「ディオール神」の爆発的な価値の高騰を、現在のディオール(LVMH)側も決して否定しない。なぜなら、ガリアーノが過去に遺した遺産(ヘリテージ)の価値が上がれば上がるほど、自社のブランド価値そのものが底上げされるという、冷徹なビジネスの恩恵を彼らもまた受けているからだ。

そして驚くべきことに、これらの巨大なシステムハックと神格化のドラマは、すでにひとつの「物質」として結晶化している。私が所有している、LOEWEの『Small Newspaper Square Basket bag in paper and calfskin』がそれだ。

ガリアーノを象徴する最大の視覚的アイコンであり、彼の栄光とスキャンダル(大炎上)を象徴する呪われた記号であった「新聞紙(ニュースペーパー)」。ジョナサンは近年の『サステナブル(持続可能性)ブーム』という環境倫理のトレンドに便乗し、世界中から回収した本物の古新聞をリサイクルするという名目で、このバッグをしれっと世に送り出した。

誰も文句のつけられない『エコでクリーンな正義』という時代のシステムを逆にハックし、その綺麗事の裏に、かつてスキャンダルという新聞紙の文字で抹殺されかけたガリアーノへの狂気的なオマージュを編み込んでみせたのだ。本来なら情報という名のゴミ(ノイズ)に過ぎなかった物質が、職人たちの手作業によって最高峰のラグジュアリークチュールへと昇華されている。

上層部の政治ロビーやドナーの目を気にして一度は彼を切り捨てた巨大資本すらも、ジョナサンが仕掛けた「神格化の渦」と「ヴィンテージ市場の狂騒」を前に、計算ずくでその恩恵を享受している。ガリアーノは、かつて自分を排斥したシステムの裏をかき、自らの過去の服の価値によって、システムそのものを完全にねじ伏せたのである。

神格化とはなんだろう、本人の実力ももちろんあるだろが、、後継者たらんとする者の振る舞いや、神と崇めるものがいるからこそ成立するのだろう。

第3章:MET辞退と2年限定の計算

ジョン・ガリアーノの完全復活を決定づけるはずだった、米メトロポリタン美術館(MET)による2027年春の回顧展計画。しかし、過去の反ユダヤ暴言に対する世論やユダヤ系大富豪ドナーからの激しい逆風を受け、最終的にガリアーノ側が「辞退」する形でこの計画は白紙撤回された。

世間はこれを「キャンセルカルチャーによる天才の挫折」と見たが、ファッションビジネスの冷徹な裏側を知る者たちの見方は全く違う。これは、Vogue編集長アナ・ウィンターら権力層をも巻き込んだ、最初から織り込み済みの「高度なプロモーション・ゲーム」だった可能性が極めて高い。

世界で最も政治的な根回しに長けたアナ・ウィンターが、イスラエル支持層の反発を「予測していなかった」はずがないのだ。主要なユダヤ系団体への事前交渉も含め、大炎上するリスクはすべて計算に入っていた。結果として、ガリアーノは「METに選ばれるほどの世界的巨匠」としての格を世界中に再証明しつつ、美術館の財政を破滅させる前に自ら引くという「配慮のできる大人の男」の免罪符をスマートに回収した。やっても、やらなくても、メディアの注目を最大化させた時点でガリアーノの勝ちだったのだ。

そして、この鮮やかなスキャンダル・コントロールの先に控えているのが、ZARAとの「2年間限定」というクリエイティブ・パートナーシップである。

なぜ、ダラダラと続けるのではなく「2年」という明確な期限を区切ったのか。ここにも恐ろしいほどの計算が働いている。

第一に、期間を限定することで生まれる強烈な「飢餓感(プレミアム感)」は、ブランドの神格化を維持するための絶対条件だ。そして第二に、これが現在進行形で緊迫化するパレスチナ・イスラエル情勢に対する最強のリスク管理(出口戦略)だからである。

高級ハイブランドの顧客層や政治的ロビーは、彼の過去の言動に極めて敏感だ。しかし、ZARAがターゲットとする世界中のマス層(一般大衆)は、そこまで政治的な文脈を気にしない。彼らが求めるのは「あの伝説の天才ガリアーノの服が、今だけ手に入る」という圧倒的な話題性とデザインだ。

もし今後、国際情勢の悪化によって上層部からの政治的プレッシャーが再燃したとしても、2年という契約であれば、ビジネスに致命傷を負う前にスマートに契約満了を迎えることができる。

「好きな表現を続けるには、右肩上がりの数字を証明し続けなければならない」

学生時代の資金難からそれを骨の髄まで学んだガリアーノは、巨大な政治リスクを軽やかにいなしながら、目前の大衆ビジネスを大成功させるための完璧なチェスを指したのである。

第4章:境界線なき世界のバイアスカット

ケイト・モスのウェディングドレスをはじめ、世界中のトップセレブやファッショニスタを魅了し、現在のヴィンテージ市場を狂騒させているガリアーノの代名詞――それが「バイアスカット(斜め裁断)」である。

布地を織り目に対して45度傾けて裁断するこの技法は、重力に従ってまるで液体のようになり、着用者の肉体の曲線を世界で最も官能的に包み込む。しかし、生き物のように動く布を扱うには、熟練の職人が手作業で慎重にミシンをかけ、何日もトルソーに吊るして生地を落ち着かせる必要がある。本来、職人の手仕事と膨大な時間を必要とするバイアスカットは、マシーンによる「超高速・低コスト・大量生産」を至上命題とするZARAの工場システムとは、根本から矛盾する技術なのだ。

だからこそ、このZARAとのコラボレーションの実物が店頭に並んだとき、私たちはガリアーノの「本気の計算」の答え合わせをすることになる。

彼がZARAの莫大な資本力と最先端の生産ラインをハックし、大量生産の中に「奇跡的なバイアスカットのパターン」を落とし込むことに成功し、大衆を驚愕させるのか(天才の圧倒的な勝利と技術の証明)。あるいは、それは「バイアスカット風」に見えるだけの平凡なカッティングであり、プリントの派手さだけで胡麻化した2年限定のマネーゲームに過ぎないのか。

しかし、その答えがどちらであったとしても、彼が衣服を通じて成し遂げようとしている本質は変わらない。彼は、結果として「イスラエル(シオニズム)の排他的なナショナリズムの思想」とは真逆の極致を、この衣服によって実証しようとしているのだ。

特定のアイデンティティを選別し、隔離壁や検問所で他者を「排除」することで自らを定義しようとする国家の思想。それに対し、ガリアーノがZARAという世界規模の巨大な物流網を使って仕掛けているのは、人種、宗教、国籍、そして経済力の境界線をすべて取り払い、「世界中のあらゆる庶民を、等しく自分のデザイン(美)の主役にすること」である。

これこそが、美の「完全なる無差別化(民主化)」なのだ。

結び(エピローグ)

2011年、イスラエルを支持する上層部の強固な権力システムによって、一度は歴史から完全に抹殺されかけたジョン・ガリアーノ。

彼が15年の歳月を経てたどり着いた答えは、かつて自分を排斥した選民思想的な上層部のルールに媚びることではなかった。世界中の一般の大衆(庶民)と手を結び、彼らの圧倒的な数と購買力によって、世界を自分のデザインでジャックするという、最も痛快なサバイバル戦略だったのだ。

ジブラルタルという、多文化が激しく交差する狭い境界線の街に生まれたガリアーノ。彼の歩んできた道は、奇しくもダニエル・ボヤーリンが『無国家解決』で唱えた、「国家という権力の枠組みに縛られず、境界線を超えて創造的な文化を築く」というディアスポラ精神そのものの体現である。

上層部のややこしい政治や歴史の因縁をすべて置き去りにして、ストリートの誰もが純粋に美しい衣服を身にまとい、境界線のない世界を闊歩する。

ZARAの店頭に彼の服が並ぶその日、私たちは単なるファストファッションの新作発表を見に行くのではない。ひとりの呪われた天才が、世界の権力構造をハックし、美によって国境の壁をぶち壊した「無国家解決」の景色を、その目で目撃することになるのだ。

世界を巻き込んだこの壮大なチェスゲームの答え合わせ、もう直ぐ発表ね!本当に楽しみ!

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